暇人によるクルマ語り

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スワンプマン(沼男)の考察~自分とは何か~

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皆さんは自分は何なのかということを考えたことはありますか?

小学校ぐらいの頃にふと、そんな疑問が頭を過った方は多いのではないでしょうか。私もその一人です。

小学生高学年くらいの頃でしたか、授業中に突然「自分っていったいどこから来たんだ?もしかして本来の僕は昨日死んでいて、今の僕は昨日生まれたんじゃないか」という哲学的な疑問が脳裏を駆け抜けました。しかし10歳にも満たない当時の僕にはまともに考えられず、そのまま疑問は消えていきました。

同じような事を考えた哲学者がいます。ドナルド・デヴィッドソンです。

彼は"スワンプマン"という思考実験を提唱しました。

目次

 

 

 ・どんな実験?

スワンプマンは思考実験です。当然実際に行われたことはありません。

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[3]。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

(wikipediaより)

 皆さんはこの沼男が元の男と同一人物だと思いますか?私は違うと思います。だって、"ある男"は明らかに「雷に打たれて死んだ」と書いてあるのですから。

しかし私たちにはこの沼男が"ある男"ではないと言い切ることができません。いや、気づくことすら出来ません。沼男は完全なコピーです。行動パターンも、口癖も、記憶も性格も全く同じなので違和感を覚えられません。

 

・知ってしまったら?

ただ一つ知り得るとすれば、たまたま沼男誕生の瞬間が監視カメラに収められていたときくらいなものでしょう。それを見てしまったらあなたはパニックになるでしょうね。"ある男"はずっと"ある男"であるという無意識下での思い込みが砕けるのですから。

それで、沼男が偽物だと知って、この映像を見せながら「近づくな!このニセモノめ!」と言ったとしましょう。今度は沼男がパニックになります。沼男にとっては、自分は本物の"ある男"であることは間違いのない、絶対の前提条件だからです。それが根幹から揺らいだのですから。

私たちにとっても同じです。もし、自分が”今日の朝、目が覚めた時に誕生した存在”だと言われたらどう思いますか?

「記憶がある。これが自分がずっと存在した来た証だ」

という主張をしたとしましょう。

「その記憶は今日の朝、”10年前の記憶”として作られたんだよ」

と反論されたら終わりです。これに対する根拠ある反論は私たちには不可能です。

 

・結局”本物の自分”って何なのか

本物の自分とはどれなのでしょう。沼男のように第三者の目線から見れば、本物は雷に打たれる前の「母体のお腹からうまれてきた」ものが本物だとなるでしょう。しかし本人目線ならどうなるでしょう。

私は"今ある自分が無条件に本物"と考えています。

「我考える。故に我あり」

というデカルトの言葉があります。

「自分は本物なのか?」と考える自分が、確実にこの世に存在しています。

逆に自分以外はどうでしょう。「お前はニセモノだ」と言ってきた人もニセモノ(沼男)である可能性があります。「お前はニセモノだ」と言われた記憶も実はニセモノだという可能性もあります。「お前はニセモノだ」と言ってきた人の存在そのものがニセモノの記憶だったり…

”ニセモノ”がゲシュタルト崩壊しそうですね。

このようにこの世のもので"絶対、確実"と言い切れるものは”今この瞬間の自分”以外になにもありません。考えだしたらキリがありません。

この瞬間、自分はこの世にいる

それだけで十分ではありませんか。